論語に次のような一節がある。
『子貢(しこう)問うて曰(いわ)く、一言(いちごん)にして以って終身これを行うべき者ありや。 子曰く、それ恕(じょ)か。 己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。』
子貢は孔子の弟子であるが、子貢が孔子に会ったとき、「一生行っていくべきことを一言でいうと?」と問いかけたところ、孔子は「それは『恕(他人を思いやる心)』 自分がしてほしくないことは他人にしないことである」と答えた。
聖書にも似たような一節がある。
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい』
つまり他人に思いやりをもって、自分がしてもらいたいようにしてあげて、自分がされて嫌なことはしないのであると言っている。
大方の基本的考え方はそれでいいのかもしれない。でもこれはなかなか難しいことである。人は、それぞれ持っているDNAも違えば、もって生まれた性格も育った環境も価値観も生活観も違う。
例えば、会社でも何から何まで手取り足取り教えてもらいたいという人もいるだろう。またある人はテキストで勉強できるところは自分でするからある程度放任的に放っておいて欲しいと思うかもしれない。
また、さらには自由にもっと主体的に仕事をしたいので口を挟まれたくないと思う人もいるかもしれない。
自分が放っておいてもらいたいからといって、他人は必ずしもそうでないかもしれない。また丁寧に教えると逆に迷惑がられたりする。
人間、個人個人趣味が違い、好き嫌いも違う。 極論をいうと、自分は人参が嫌いだから、他人に人参を食べてもらうのはやめよう!ということになってしまう。
他人が何を望んでいるのかを察知し、それをしてあげれるというのが理想なのであろうが、なかなか難しい話である。