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シェークスピアの『リア王』で嵐の荒野をさまよう、老いたリア王の台詞に「人は泣きながら生まれてくる」とある。「赤ん坊の産声は、この世に否応なしに引き出される、恐ろしく不安でならない孤独な人間の叫び声なのだ。」ということらしい。
ブッダも「人生は苦なり」という究極のネガティブシンキングが出発点であるとされている。生老病死の重い枷をはめられた人間、そんな人間のひとりとして釈迦自身、それでもなお希望が有るのか無いのか、答えのないその問いに全存在を賭けて旅に出られた。 「泣きながら生まれた」人間が「笑いながら死んでいけるのか」。ブッダは臨終前、沙羅双樹を見て「世界はすばらしい」と讃えつつ微笑まれた。最大の否定から最高の肯定へ。 親鸞は、「酒はこれ忘憂(ぼうゆう)の名あり」と言っているが、酒で憂さをはらすことのできる人は幸せかもしれない。酒を飲めない人間はバイクを走らせて気をまぎらわせるか、競馬にでも行くか、パチンコをするか、カラオケに行くか・・・。でもそれは、一時的な束の間の忘憂にすぎないのであろう。 人生は苦しみと絶望の連続である。『愛も、思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟したときに、なにかが生まれる。なにも期待していないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが早天の慈雨として感じられるのかもしれない。そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、本当の感謝というものだろう。親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えてゆく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかないのであろう。』というようなことが五木 寛之の「大河の一滴」に記されている。 新約聖書の言葉にもでてくるギリシャ語の『ペイラスモス』には、「試練」という肯定的な意味と、「誘惑」という否定的な意味が込められている。実際に文脈に沿って訳し分けているらしい。試練に耐えて自分を鍛える、誘惑に負けずにストイックに生きる。根本は同じような気がするのである。古代ギリシャの人は本質を見抜いていたのかもしれない。 見返りや成果を求めずに、ただストイックに生きる。口で言うのは簡単だが難しい。 市場原理と自已責任という美しい幻想に飾られた近代社会、しかしひと皮むけば資本主義という巨大な怪物が、多くの人間を傷つけていく人間の草刈り場にすぎない。 自己主義で、『長いものにはまかれろ』主義で要領よく生きている奴が得をする、そんないやらしい時代になってきているような気がする。
by yakuji-info
| 2006-10-09 07:50
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